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わかば祭り第一日ノ儀 こどもの祭り(稚児健康祈願祭)〔吹奏楽・スカウト・猿田彦・役員総代・こども太鼓山車など多くが供奉

本日5月3日、大宮八幡宮で開催された「わかば祭り」の初日、稚児行列を見学してまいりました。
境内に足を踏み入れた瞬間、新緑に包まれた杜、光と影が揺れる参道、その中で行われる祭礼は、日常とは明らかに異なる時間が流れていました。

大宮八幡宮の「わかば祭り」は、毎年5月3日から5日までの三日間にわたり斎行される春の大祭です。
春に五穀豊穣を祈る意味を持ち、秋の新嘗祭と対になる重要な神事とされています。
単なる地域イベントではなく、これから始まる一年の実りと命を祈る祭り、これが本質です。
その構成は非常に明確で、三日間それぞれに意味があります。

初日は「第一日ノ儀」、別名「稚児健康祈願祭」。
子どもたちの健やかな成長を祈る日です。
午前11時から始まる稚児行列は、この祭りの象徴ともいえる存在です。
行列は約1.3kmにわたり巡行し、吹奏楽団、ボーイスカウト、高張り提灯、猿田彦(道開き)、神社関係者、稚児、太鼓山車という構成で進んでいきます。
色鮮やかな装束をまとった子どもたちが、少し緊張しながらも一歩ずつ歩く姿は、単なる行事ではなく「成長の通過儀礼」のように感じられました。
また、この日は参道で植木市も開かれ、地域の人々で賑わいを見せます。
神事と生活が自然に交わる光景は、この祭りの大きな魅力の一つです。
稚児行列は、清らかな子どもたちが神様の前を歩き、道を清める伝統行事です。
華やかな衣装をまとった稚児たちは、無病息災を祈る象徴であり、古くから神と人をつなぐ媒介的な存在として大切にされてきました。幼い子どもたちが神前へ向かって歩む姿には、地域全体で命の成長を見守る祈りが重ねられているように感じられます。
一方、行列の先頭に立つ猿田彦は、“道の神”として知られる存在です。悪しきものを祓いながら神様の通り道を開き、祭礼が滞りなく進むよう導く重要な役割を担っています。
稚児と猿田彦は、それぞれ異なる役割を持ちながらも、ともに神様を迎えるための道を整え、祭礼をより神聖なものへと導く存在であることが分かります。
この日の行列は大宮八幡宮を出発し、方南通りを左折。大宮八幡入口交差点から八幡前商店街へ入り、表参道を通って再びご神前へと帰着しました。





二日目は午前10時より「第二日ノ儀」が斎行され、午後2時からは「植樹祭(献木式)」が行われます。この日は、初日の人への祈りからさらに一歩進み、自然と共に生きることへの祈りへと意味が深まっていきます。
中でも植樹祭は非常に象徴的な行事です。
それは単なる植樹ではなく、未来へ神域を残していく行為であり、同時に自然への感謝と再生を表すものでもあります。また、神前で捧げた祈りを、実際の行動として形にしていく儀式としての意味も持っています。
このことから、5月4日は祈るだけで終わらせるのではなく、その想いを現実の中で育てていく覚悟を示す日であるといえます。境内は前日の賑わいとは対照的に、落ち着いた空気に包まれ、新緑の美しさがいっそう際立ちます。
静けさの中に確かな生命の力を感じる、印象深い一日です。


最終日は午前10時より「当日祭(尚武祭)」が斎行され、三日間にわたる祭りを締めくくる最も重要な神事となります。「尚武」とは武を尊ぶこと、すなわち強く正しく生きることを重んじる精神を意味しており、この神事にはその価値観が色濃く込められています。
また、この日は端午の節句とも重なり、子どもの成長だけでなく、精神的な強さや人としての在り方を祈る意味も持っています。
初日の祈りが無事に育つことを願うものであったのに対し、最終日はその先にある「強く生きる力」を祈る段階へと進んでいきます。守ることから始まり、育てることを経て、最終的に強く生きることへと至る。この一連の流れの中で祭りは構成されています。
最終日の境内には、初日のような賑やかさとは異なる、どこか整った静けさが漂っています。三日間の祈りを終え、再び日常へと戻っていくための区切りの時間が、穏やかに流れているように感じられます。



祭り期間中、境内では「方南エイサー踊り」も披露されました。
太鼓のリズムが響き始めると、それまでの厳かな空気が一変し、境内には一気に躍動感が生まれます。力強い演舞と掛け声、そして踊り手たちの一体感は圧巻で、多くの来場者が足を止めて見入っていました。
神社の祭礼という伝統的な空間の中に、沖縄文化をルーツに持つエイサーが自然に溶け込んでいる光景は非常に印象的で、大宮八幡宮の祭りが地域に開かれ、多様な人々によって支えられていることを感じさせます。
地域の人々が集い、世代を超えて祭りを共有していく。その活気もまた、わかば祭りの大きな魅力の一つなのだと思います。



印象深かったのが「雅太鼓」による奉納演奏です。
重く響く太鼓の音が新緑の杜に広がると、境内の空気そのものが震えるような感覚に包まれました。単なる演奏ではなく、神前へ捧げる音としての迫力と緊張感があり、その場にいる人々を自然と静かに引き込んでいきます。
太鼓の響きは、言葉では表せない祈りや願いを音に変えているようでもあり、神事と奉納芸能が一体となる神社ならではの空間を感じさせました。



三日間を通して見ると、わかば祭りは単なる行事の連続ではなく、一つの大きな祈りの流れとして構成されていることが分かります。
初日の5月3日は、稚児行列に象徴されるように、子どもたちの健やかな成長を願う日です。そこには、新しい命を迎え、その命が無事に育っていくことを祈る、家族や地域の温かな想いが込められています。
二日目の5月4日は、その祈りが人だけにとどまらず、自然へと広がっていく日です。植樹祭に見られるように、命を守るためには、私たちが生きる環境や神社の杜を未来へ受け継いでいくことが欠かせません。祈りを言葉だけで終わらせず、木を植え、育て、次の世代へ残していくという具体的な行動へつなげている点に、この日の深い意味があります。
そして最終日の5月5日は、守られ育まれた命が、これから強く正しく生きていくことを祈る日です。尚武祭には、単に健康であるだけでなく、困難に向き合い、自分の道を切り開いていく精神的な強さへの願いが込められています。
このように、わかば祭りの三日間には、命が生まれ、守られ、自然と共に育ち、やがて強く生きていくという流れがあります。それは、子どもの成長だけでなく、人の一生そのもの、そして地域や社会が次の世代へ受け継がれていく循環を象徴しているように感じられます。



今回、稚児行列をきっかけに「わかば祭り」を三日間の流れとして見つめてみると、この祭りが単なる年中行事ではなく、意図を持って丁寧に組み立てられた「祈りの構造」であることに気づかされました。
初日は、稚児行列を通して子どもたちの無事と健やかな成長を願う日でした。色鮮やかな装束に身を包み、少し緊張しながらも参道を歩く子どもたちの姿には、命の始まりへの祝福と、未来への願いが込められているように感じられます。
二日目には、その祈りの対象が人だけではなく、命を支える自然へと広がっていきます。植樹祭では、未来へ神域を残すために実際に木を植え、祈りを行動として形にしていく姿がありました。願うだけではなく、自ら手を動かし、未来へつないでいく。その姿勢そのものが、この祭りの本質を表しているように思います。
そして最終日には尚武祭が斎行され、守られ育てられた存在が、これから自らの力で強く生きていくことを祈ります。そこには単なる健康祈願ではなく、「どう生きるか」という精神的な願いが込められていました。
この流れは、どれか一日だけを切り取っても本当の意味では完結せず、三日間を通して初めて一つの大きな祈りとして成立しているように感じられます。
また、期間中に披露された方南エイサー踊りや雅太鼓の奉納演奏も非常に印象的でした。方南エイサー踊りの力強いリズムと躍動感は、祭りに地域の熱気と生命力を与え、雅太鼓の重く響く音は、杜全体を包み込むような深い祈りの空間を生み出していました。神事だけではなく、地域文化や人々の想いが重なり合うことで、この祭りはより豊かなものになっているのだと思います。
現代では、祈ることと行動すること、あるいは個人の成長と社会との関わりが、それぞれ別のものとして捉えられがちです。しかし、この祭りの中では、それらが一つの流れとして自然につながっています。人は守られる存在であると同時に、何かを守り育てる側でもあり、やがて自らの意思で道を選び、進んでいく存在でもある。その当たり前でありながら忘れがちな循環を、神事という形を通して静かに思い出させてくれるように感じました。
新緑に包まれた大宮八幡宮の杜に流れていたのは、単なる賑わいや季節感だけではありませんでした。そこには、「どう生きるか」という問いに対する、一つの静かな答えのようなものがあったのかもしれません。
日常の中にあるこうした時間に触れることで、自分自身の立ち位置や、これからの歩みを少し見つめ直す機会をいただいたように思います。
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